大人ごはん ハナヨウヒン

たかが女ひとり飲みぐらい

‘ 自分の感受性ぐらい ‘

茨木のり子のようなタイトル。

ここのところ今年自分は何をやってきたんだろうか?と振り返る間もなく。在宅の仕事と並行しつつ頭の中はちょっとグルグルしてます。それこそ酔ってます。なので面白いことを書ける気がしません。

そんな中どうしてキーボードを叩き始めたのかと言うと、非常に個人的な ‘なんでやねーん ‘不思議事象を思い出してしまって。

よくある世間のものの見方にね。

それが上記のタイトルなんですけど。

ベルク 女子一人飲み
国葬の日にベルクにて

ここしばらく忙しくしていたので買った本を読めておらず、今日やっと写真の『大人ごはん』(¥1000)という本を読み始めまして。先月両国のYATOで店主に「オススメの雑誌あります?」とかあまりにアバウトな質問をしたところこの本を勧められ。

いつもなら買わないやつだな〜と思いつつ、お勧めに乗っかってみることに。すると『保険にもう一冊』と店主がジャパネットのように畳み掛けてきたので『XD MAGAZINE vol.2』(¥500)の計2冊を購入。このXD MAGAZINE、バリュープライスだけでなく内容もいいので、掛け捨てではなかったです。かなりお勧め。

XD MAGAZINE vol.2

そうそう、大人ごはん。

まだ20ページも読んでないのに、キーボードを叩き出したのは10〜14ページに掲載されている植本一子さんの記事を読んだから。

植本一子さんのことは寺尾紗穂さんのエッセイで知って、すごく生きる力の強い方なんだろうなあという印象がある。まあ子どもを持つと女性は強くならざるを得ないんだけど。

本の担当者が植本さんに、「一人の時間が出来たらどこにご飯に行ってみたいですか?」と尋ねると「新宿ベルク」と答えていた。おお、、わたし国葬の日に行きましたベルク。

植本さんはまだベルクに行ったことはなかったらしく一人で行くのが少し怖かったそう。ベルクを知ったのは副店長である追川尚子さんの著書『食の職・小さなお店ベルクの発想』を読んだのがきっかけとか。

この本が発行されたのが2019年6月なので、コロナもまだない頃。そう思うと、その頃の世間と世界は、一体何に振り回されていたんだろうかと浦島太郎のような気持ちになる。

人は一つのことに囚われるのが好きな生き物。自分が見ているもの以外の多くは無きに等しいことになっている。

、、話が逸れる。

こうして思うところを少しずつ文字に置き換えていくことは、わたしにとって健全な体を保つ一つの方法でもある。こんな精米中の玄米のような文章を読んでくれてありがとう。いや玄米好きだけど。

ひとつぶ

9月の国葬があった日、わたしも新宿ベルクに初めて行ってきた。

植本さんも本の中で言っているように、特に入りにくい雰囲気もなく、お店の個性が心地いい。ためらいなくワインを一人で飲めるぞという、不思議な安心感。

その日ベルクは国葬反対を大々的に掲げており、それに共感した老若男女で平日夜遅くなのに店内は賑わっていた。隅っこの立ち飲みカウンターが空いていたので、そこに本日の白ワインとベルクドックを持ち込み、そのお店の雑多な音と空気を感じながら一人ワインを飲んでいた。

すると、横のカウンターに女性3人組(中高年ぐらいの)が「すみませ〜ん」と一人で飲んでいたサラリーマンを追いやるようにやってきた。(あ、うるさい人達来ちゃったなー)と一瞬思ったものの、ここは新宿ここはベルク。多様性ウェルカムな土地。

するとその隣に来た女性の一人が、「わたし白ワイン飲まないのよね〜」と言っている。わたしの白ワインに目をやってる感ガンガンあるんですけど?「白ワインって確か太るんじゃなかった?」と今度は別の女性が言う。「あ、ねえ、国葬反対って書いてあるよ!」

あ、そっか。

この人達も今日初めてベルクに来たのかー。狭い店内で目のやり場に困ってわたしが美味しく飲んでいる白ワインを話のネタにしちゃっただけってことか。別にいいんだけどー。

まあいっそ言うけど、女性3人固まってこちらが一人美味しく飲んでる白ワインを話のネタにするのは、美しい光景ではないし、彼女らは一人でワインを立ち飲みしてるわたしに嫉妬してた。理由は自分に出来ないことをしてるから。それだけ!

holon

そうゆうのはもうどうでもいいんだけど、一人で飲むのが楽しいからそうしているし、自分で稼いだお金で何をしようと自由。一部の世間というやつが、女一人で飲んでることに柔軟な想像力を抱けないだけである。

仕事のことも、色んなことを一旦傍に置いて、誰でもない自分になって一人お酒を楽しんでいるのに、勝手に悲観的なストーリーを盛られてもそれはその人の問題なのでどーしようもない。

男性から見てもやはり一人で立ち飲みしてる女は淋しそうに見えるんだろうか?

女一人は淋しいものと決まっちゃってるのだろうか?

ナゾである。

一人の人間には、色んなシーズンがあると思っている。

春夏秋冬とか低気圧、高気圧、吹雪や日照りや干ばつとか。

大切な人を大切にすることは自分を大切にすることだし、自分を大事にすることは大事な人を大事にすること。いつも一緒に居なきゃいけないわけじゃない。

子どもを育て終え、自分の時間を取り戻しやりたいことをやり自分を大切にして生きる。

歳を重ねたらやっちゃいけないことってあるのかな?

大人ごはん 植本一子

一人に対して偏見をもつ人というのは、寂しく見られないために生きるのだろうか。

SNSなんてその縮図な気がするけど、一体何が面白いんだろう。

自分が喜ぶことを選択していくために人生ってあるんじゃないのと思っているわたしは、これからも自分が喜ぶことをしていくことにする。

人に理解されるために生きてるわけじゃない。本当の自分を生きることが実は誰かに勇気を与えてたりする。

たかが女ひとり飲みぐらいいつでもしようよ。

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