「沈黙の春」
春がきたが、沈黙の春だった。
いつもだったら、コマツグミ、ネコマネドリ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。
だが今はもの音一つしない。野原、森、沼地 ー みな黙りこくっている。
書きながら、マヒトゥ・ザ・ピーポーの「まだあの海が青かったころ」が浮かんだ。
本も曲も、根底で同じことを言っている気がする。
この本を読んだのは中学2年の時。
今思い出したけど、当時の担任(20代後半男性)が「ちょっと作文書いてくれないか?」と言ってきた。
何でも私の住む当時郡さらに小さな村で、近いうち岐阜市と提携して植林イベントを大々的にやるらしく。それに合わせ若人の作文コンクールを開こうじゃないかという趣旨らしい。
今思うとまんまとイメージ戦略に乗せられていたのに、(あ、やっぱり私ってちょっと他の子と違うのかしら?)なんて浮かれ気味になってた自分がかわいい。
テーマは植林に関するもの。担任にこの沈黙の春を勧められ、読んだように思う。
確か途中ページを飛ばしたが、概要はちゃんと掴んだ。
あまりに衝撃が多く全部読み切れなかった、のに読書感想文を書いた。笑
私は当時、本当に自然が消えていくことに大きな危機感を感じていた。
父がよくNHKスペシャルなんぞを見るものだから、私まで知らず知らずドキュメンタリーで世界の現状や社会問題について知るようになった。
当時の私が中でもショックを受けたのは、サハラ砂漠にあるチャド湖を30年間観察したタイムラプスだった。
世界地図に載るほど大きな湖から、みるみる水色が失われていく。どんどん茶色が周りを埋めていく様子。
昨今、温暖化は起きているだの起きていないだのという意見を見聞きするけど、 北極の氷河が消え、湖が消えていく姿に嘘はない。議論の答えはそれで十分じゃないだろうか。
作文コンクールで私は入賞だった。何とその作文は植林の森に埋められた。開けるのは60年後だと言う。73歳になって13歳の自分が書いた作文を見るのも、なかなか楽しそう。それまで楽しく歳を重ねなくちゃだ。
ここで最優秀賞を取った地元の中一の男の子が書いた作文を掲載します。
山に囲まれて育った私だけど、山を手入れし、その孫の代に木を使うということすら知らなかった。
男の子のおじいさんが言う(山の木は使ったら植えてまた手入れをしないかんな。それが使ったものの務めよ)という言葉は、あらゆることに言えるのではないだろうか。
使い捨てが流行り始めたのも丁度この頃で、私は当時こう思っていた。
(大人はみんなバカなんだな・・。)
使って捨てたらゴミが増えていつかゴミだらけになるよ。そんなことも分かんないの?
それとも分かってるけどゴミ捨てまくってんの?
バブルが弾けて計画倒れになったリゾート地や諸々色んな寒いニュースが流れ始めると、(ああ、やっぱり大人ってバカなんだ・・)と再認識せざるを得なかった。いつまでもあんなパーリー状態が続く訳がないと落ち着いて俯瞰出来ないものなのだろうか。
今の子ども達も同じように思っているかもしれない。
いや、思ってるに違いない。
大人ってどうしようもないねって。
どうしようもない大人に子どもの振りするの、いい加減しんどいよねって。
「地球は先祖から譲り受けたものではない。子孫から借りているものだ」(アメリカ先住民)
ほんとそれだと私は思います。