ハナヨウヒン オルレアン
その他

フランスより

久しぶりに文章を書く。頭の中は空っぽだ。

空っぽのいいところは、触れたものを純粋に感じることができること。

自分の世界が空になることはままある。

大抵それはこの、今のつまんない社会システムの駒になっている時。

心のレバーを ”つまんない社会システム側” へ倒した時、私の世界は扉を閉ざす。

閉ざされた私の世界は風ひとつ吹かない。

“つまんないシステム”からできる限りの距離を取り

”あらゆるつまんない争い”から目を背け

心がYESと言わない限り顔は上げない。

13日、フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが亡くなった。死因は”自殺幇助”とのことで、自ら安楽死を選んだということだそうだ。暮らしていたスイスでは認めらられている制度らしい。

率直な意見としては死に対して制度も何もない気もする。人の生き死にを制度化するのは何だか違和感がある。

私個人は、自分が何もので相手が誰かも分からないような状態で命だけ繋げられ子供に面倒を見てもらうくらいなら、ゴダールのように自殺幇助を選びたい。

自分が何者で相手が誰なのか分からなくなる前に、そういった意思は書き残しておきたい。

ゴダールの映画で好きなのは気狂いピエロもそうだし、男性女性も好き。アンナカリーナ程、女性が持ちうるキュートを体現する女性は他に居ない。

気狂いピエロの2人みたいに、逃避行ぐらいいつでも出来ると思いながら、日々生活を成り立たせる為に電車に乗り、会社の歯車になり、それなりのお金を貰う。

しかし生活を成り立たせることと生きることは違うということを、色んな人の死から学ぶ。

長く生活はしたけど、本当に自分を生きれたの?と今も思う、2年前に亡くなった母。

母を幸せにしたかったけど、私には無理だった。

人がどう生きるかはその人しか決められないし、誰のせいにも出来ない。

いくら肉親や近しい人が自分の人生に不満があっても、それはその人の人生。

誰もが源に抱えている孤独を自分で愛してあげられるなら、人に優しく居られるんじゃないかとそんなことを思う。

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話が逸れた。

フランスからの手紙と書いたが、本当は手紙じゃなくて写真。

2020年の終わりぐらいからやり取りしている、フランス在住の友人が時々送ってくれる。

彼はフランス中部にある都市オルレアン(Orléans)に住んでいる大学の先生。

オルレアン大学に勤めているっぽいがやり取りする最初の頃、”ボクは社会科学の博士号を持ってるよ、キミは何を勉強したの?”と聞かれた。

”あーそういうアカデミックな経歴何もありませーん。子供2人居て基本やりたいことやって生きてます” スタンスから始まった。

いつだったか彼は ”キミとぼくは正反対だね”と言った。それは本当にそう思っている。

私は感性に従うし、自分の直感を信じている。

論理的に考えるのは、過去の経験から分析して下された判断ぐらいだけどそれすらも疑っていたりする。

一方彼は、事実があって結果があり未来は過去からできているフロイト的な考え方かなおそらく。そもそもの時間の流れかたというか、感じ方が違うんだろう。

そんな彼はよく写真を送ってくれる。

最初は駅の中とか飛行機の中とか、何故かネクタイとかピラミッドへ行った時の写真とか。

この頃は自分が住む土地の風景や故郷の写真、旅先で撮っただろう花の数々などを送ってくれる。

時間が流れるうち、少しずつ何かが変わっていく。

載せている写真もそのうちの一枚(勝手に載せてごめんなさい)オルレアンの風景。

オルレアンって何処?何があるの?と思いませんか。

ご存知の方もいると思いますが、オルレアンはジャンヌ・ダルクで有名な街。イギリスから街を奪還しフランスがイギリスに侵略されるのを阻止した要とされる場所。

ジャンヌ・ダルク=オルレアンの乙女とも呼ばれているそう。

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昔、小学校の図書館で借りたジャンヌダルクの本を読み、あまりに悲劇で子供心に胸が痛んだのを今でも覚えている。

いい大人になった今、ジャンヌダルクのことを改めて調べてみた。

中世、イギリスに侵略され伝染病で多くの人が亡くなり、低迷の一途を辿っていたフランス。

ある時、とある農家の娘だったジャンヌダルクに神の啓示が下る。

”フランスをイギリスから奪還し、シャルル7世を王位継承させよ”と。

ここからのジャンヌダルクの行動力は普通の人間とは思えない。一介の農民の娘が貴族を説得し、将軍の信頼を得て軍の先頭に立ち、イギリス軍を撤退させるまでーヶ月も掛かっていない。当時若干17歳。

男装をしたのも自分の身を守り士気を上げる為だったり、弓に当たって負傷しても、先頭に立ち続けた意志の強さに軍の兵も次第に尊敬の念を抱くようになっていったのだそう。

今のイギリスとフランスの国家が築かれたのも、ジャンヌダルクが活躍した100年戦争によるもの。だとすれば、ジャンヌダルクはフランス国民にとってまさに英雄でありヒロインだ。

そこでふと思う。

わたし達日本人にとっての歴史的ヒーローヒロインって誰?と。

日本は島国だから、土地を責められること自体が多くない。というかほぼない。だからこそ、黒船が来て初めてえらいこっちゃーとなった訳だけれど、

国を守り続けてくれたヒーローというより薩長同盟や本能寺の変や関ヶ原の戦いなど ”力”に対する下克上的な史実が多いように思う。

そう、歴史的ヒーローって自分が生きている時代をより良く動かそうとしてる人物なのかもしれない。

う〜ん、誰かしら?

今は昔じゃ考えられなかった魔法のようなツールがあるけれど、インターネットやBluetoothやIPhoneが生まれたからって世界が平和になる訳じゃない。

そこを履き違えないでいることは大事だと思う。

行きすぎた便利さは本当の平和と比例しない。

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ジャンヌダルクの話に戻そう。

彼女はフランスを救い当時のフランスの心を救った。

しかし、あらゆる罪を被され19歳で火刑に処せられた。歴史家は、シャルル7世が何故彼女を救おうとしなかったのかと批判している。

しかしシャルル7世だけではないだろう。イギリスで尋問監禁されている間、フランス国民は何をしていたんだろう?正直、過去のことなど歴史家だろうと何だろうと誰にも判らないけど。

ジャンヌダルクが亡くなった後、裁判が開かれて彼女は無実となり聖人としてフランスに名を刻んだ。

彼女はイギリスで捕虜となっている時、尋問で「あなたは神の御加護を受けているか?」と尋ねられこう答えたそうだ。

「神の御加護がないのならどうか

わたしに与えられますように。

御加護があるのなら

どうかそのままでいられますように。

もし本当にないのなら

私ほど哀れな人は居ません」

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解らないにしろ、自分が信じたものの為に戦い、願い、手に入れたものが人を幸せに導くものなら、決して人は戦いに身を晒した人を屈辱してはいけない。

そんなことが出来る程、自分は何をしたかと思い改めることは知性だ。

調べているうち彼女の悲しみに心が震える気がした。

友人が送ってきてくれるオルレアンはとても綺麗。いつか行きたい。

人は何故、土地を求め、権力を争い、自分の正義を振りかざしたがるのだろうか。

美しい景色を美しいと感じられるようなシンプルなことが、幸せなのではないかな?

マザーテレサは「平和を望むなら、まずは自分を大切にしなさい」と言った。

心のレバーはいつも ”自分の方” へ。

merci beaucoup.

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