牧場 ハナヨウヒン
その他

寝そべり族

寝そべりたい

時間を忘れてゴロゴロしていたい

何故なら今はそういう時だから

今仕事の研修で渋谷に通っている

今日は渋谷で5時の渋谷

90年代と小沢健二の渋谷

もう行くことないと思ってた渋谷

駅周りも再開発されてしまって

大きなビルがボンボン並ぶ

初めて渋谷に来たのは高校2年の時だった。

岐阜の山奥に住んでいた私は、日々テレビに映るTOKYOピーポーのファッションや人気スポットに興味が募る一方。

ある時、同級生の女友達3人でTOKYOさーいくべ?と計画した。親に一応報告し(全く反対されず)深夜の高速バスで女3人東京へ向かった。

初めて乗る山手線は終始ドキドキしっぱなし。原宿を歩いてもいつ芸能人に会うかハラハラ。

精いっぱい都会の空気をまとわり付かせようとするも、産地直送で田舎から出てきたオーラは拭えない。

あの頃の渋谷がわたしの原風景。

あの空気は今はない。

諸行無常。

そんなわけで目下渋谷に通う日々。(それが終われば在宅)疲労が拭えない電車の中読んだ記事がふっと疲れた心を揺り起こした。

それは「中国の過酷な受験戦争を勝ち抜いた若者が「寝そべり族」になってしまう理由」という記事。

寝そべり族・・

なんていい響きなんだ・・・

そういえばみゆき族やカラス族たけのこ族ってあったな・・・・

あ、’70年代から’10年代までのTOKYOカルチャーストーリーを音楽とファッションで楽しめるBEAMS$0周年記念ムービーがなかなかよいので良ければどうぞ。

この寝そべり族の本を多分真っ先に日本で売り始めたのはこちらの方だと思います。素人の乱5号店店主 松本哉さん『寝そべり主義者宣言・日本語版』(原題:『躺平主义者宣言』

たまたまこの本を昨年の暮れ、両国の本屋YATOで見つけて店主に何かを質問をした記憶があります。その時は買わなかったんですが。

何でも、中国の若者の間で「資本中心、利益中心の今の社会に命削る必要ある?お金なんてそこそこでいいから地味に寝そべって生きてこーよエヴリバディ?」となってるらしく。寝そべりはニートではなく、必要最低限の生き方をすること。

「結婚しない」「恋愛しない」「子供を作らない」「大きな買い物(家・車)をしない」など。恋愛しないは自由としても、結婚して子供を作るとなると安定した仕事と収入が必要になる訳で、だったら最初から必要最小限のものしか求めないよ=寝そべり主義。

ところで中国では安定した高収入の仕事を得る=いい会社に就職するために、日本の比ではない受験戦争が繰り広げられているのだそう。これも日本に居ると中々分かりづらい。こちらの記事がわかり易く日本の意外な面も見える。「中国人の教育ママと子どもたちが日本の小学生を見て驚き、感動したこと 」

中国=経済成長 技術の進歩 など他のイメージが先行してしまいがちだけど、中国でも田舎に生まれ選択肢が限られてしまう子供の場合、親によっては断腸の思いでスパルタ学校に進学させ難関大学に入れることを夢見ると言う。それぐらいしない限り、田舎と都会、低所得者層と富裕層の進路の差は圧倒的なのだそうだ。このスパルタ学校というのがまた本当にすごいらしい。。

で血の滲むような努力の甲斐あって難関大学に受かり喜びも束の間、次は大手有名企業に就職するという壁にぶち当たる。新卒者と優良企業と言われる会社の求人が釣り合わず、激しい競争に挑まなくちゃならない。

何とか優良企業に入ることができ長年の夢が叶った後待っているのは007とか言われる猛烈な働き方。もちろん全てじゃないだろうけど、今の中国の経済成長を見ていれば人がどんな風に仕事をしているか過去の日本を思い起こせば見えてくる。高度経済成長の頃のサラリーマン、団塊の世代。007とは一週間休みなし0時から0時という意味だそう。そりゃ〜寝そべりたくもなるわな〜

牧場 空 ハナヨウヒン
フランスからの写真

いい学校に入ること=高収入を得られる仕事に就きやすくなること。

そう思うとわたしの親は何て自由人なんだとつくづく思う。あの頃あれ程憧れたサラリーマン家庭は幻だったんだろうか。いや、あの頃は普通の家庭に憧れていた。心から・・・

さて、昨今経済で強いのは間違いなくアメリカだけど、GAFAM(google・amazon・facebook・apple・microsoft)の株が上がるのは、猛烈に仕事が出来る人に猛烈に仕事をさせて利益を出し続けられるから、だから米国株って人気。(一時期買ってたけど今はそんな余裕ないー)

それが今中国の若者の間で、なんかこんな生き方おかしくね?ムーブメントが起こっているのは私には何だか希望に思える。実際そんな頃から勉強漬け仕事漬けっておかしいと思う。人生にはもっと見ていい景色が沢山ある。

棚 プランター
自作の棚とプランター

だからわたしも今から来年辺りちょっと寝そべろうと思う。

在宅で最低限の仕事をしつつ身の回りの食べ物や洋服は自給したり畑を手伝ったりして。

子育てが肩にドーンとのし掛かっていた頃は、そんな寝そべるだのどうだの考える間もなかったし日々一杯一杯。何とか自立できる人間になれるよう育てた(というか勝手に育った)つもりだしその甲斐あってか、本当に子供の方がしっかりしている。1人に至っては全く連絡をよこさないが・・。

わたしもその仕事が好きかどうかというよりちゃんと収入を得られて次の仕事に生かせるものを選んだ。十分よくやった。だからもう寝そべる。

今の日本は、円安だの経済低迷だのとこき下ろされてるけど(ちょまて、今日本は他の国が正しいと思い進んでいる経済至上主義から徐々に抜け出してる最中では)と感じている。

経済成長率では確かに先進国の中で最下位。途上国と言われる国よりも低くマイナスになってしまった。でもさでもさ、経済成長を重視するって既に、もう、過去の産物なのでは?

はっきり言って経済成長なんてもう要らなくないですかー?オジサン連中は未だワーワー言ってるけどこれからは循環させてく時代。

そういう意味で今の日本、チャンスしかない。無駄に過去に倣おうとするからネガティブな面ばかり見てしまうだけで、角度を変えたら今の日本てチャンスだらけ。

小麦も米以外の作物も値上がり、食べ物も化石燃料も概ね値上がりしかしていない。すると否が応でも一度は(自分で作れないかな?)と思い至る。試しにホームセンターで苗を買って野菜を育ててみる。なんか収穫できた!もう一回やってみよっとなる。たぶん笑

お金で買って何とかする暮らしから、自分で工夫し自分であるいは周りと何とかしていく方向へベクトルが変わっていく。こう言う人が一人ずつ増えていったら、輸入に頼る今の衣食住のあり方、ひいては農業のあり方までも変わっていく。

これをチャンスと言わず何といおう?

庭に植えたコスモスとオリーブ

GDPがどうのこうのという前に、多くの中国の若者が熾烈な勉強と激務に追われ人生を満喫できないのなら、寝そべり族は一つの希望のように思える。本当の人生はそこじゃないという意思表明だから。これは日本に何十万人も居る登校拒否してる子供達にも同じことが言えるし、彼らは今の学校教育あり方に対して登校を拒否することで意思表明してる。

人が働けば働くほど、成果を出せば出すほど利益を得るのが会社。会社は資本であって人じゃない。人でも何でもない幻のような塊が資本。そして資本に依存する人も知らぬ間に同化してしまう。仕事の評価が収入に直結するから、人は必死に仕事する。家族もいるし家のローンもある。だったら最初から家も買わないし結婚もしないー。寝そべって生きてくー。

わたしは実は家も買っちゃったのでまあ大変なんですけど、それで得られる精神的メリットは計り知れないのでいい買い物をしたと思っている。それ以外では絵を描いたり文章を書いたり、刺繍をしたり色々気分次第でやっている。今自分が心地よいと思う生き方をいっこいっこ選択する。不要だと思ったら手放す。

そして今は、無性に寝そべりたい。

次のTOKYOカルチャーは寝そべり族かも。

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