花は優しく、強い
音楽家で文筆家の寺尾紗穂さんから可愛らしいお花が届いた。
花とこほろぎという、紗穂さんが作り手の素敵なお花屋さん。
可憐で繊細で、体の奥がキュンとするような感覚。お忙しい中なのに本当にありがとう。嬉しくてしばしぼーっと眺めてようと思います。
先週の土曜日のこと。清澄白河のTOKYOBIKEであった紗穂さんのLIVEへ初めて出かけた。
入場待ちをするまでの10分程、外から中を覗くとすぐそこで紗穂さんがピアノを弾き歌っていた。
それを見た途端、張り詰めた糸が切れるように涙が溢れてきた。
今までこんなふうに涙が出たことはなかったから、どうしたものか解らないけど、それは温かくて切なくて嬉しくて悲しいもので。
LIVEはマヒトゥ・ザ・ピーポーの「失敗の歴史」から始まった。
相変わらず涙は止まらず、鼻を噛みすぎてハンカチが大変なことになったが仕方がない。LIVE中はどこかを浮遊しているような、異空間で歌を聴いているようなふわふわした気持ちだった。
昨年の暮れ。
私は上野のroutebooksで寺尾紗穂さんの著書「彗星の孤独」を購入し、少しずつ読んでいた。
紗穂さんのことを昨年の夏ぐらいに知り、上野のゆくい堂で年末にLIVEをしていることも知った。何かでお子さんが居て過去に離婚していると知り、なぜかもっと彼女のことを知りたくなって本を購入したのが最初のきっかけ。
彗星の孤独には、私の知らないことが沢山書かれていた。
戦争の悲惨さを語ることの出来る、健在の人達へ労力を惜しむことなく耳を傾け記録とし、全国へ足を運び、本を通して伝えてくれている。
昨年の暮れ、この本を手にしたことはたぶん偶然ではないのだろうと思う。
私は同じことは出来ないけれど、紗穂さんという女性が居ることをより多くの人に知って欲しいなと思った。
それから、ある日Facebookから本を読ませて頂いたという旨をメッセージを送らせて頂いたところ、しばらくして返信を頂いた。
私の住んでいる地域やパラオ引揚者の方のこと、農薬の話など交わしているうち、紗穂さんへ服を作らせて頂くこととなった。こんな光栄なことってあるだろうか?
先日のLIVEでお会いし、直接服をお渡しすることが出来た。そのお礼にと、ご多忙にも関わらず送ってくださった可憐な寄せ植えのお花。
人と人が理解し得ないことを、私は悲しいと思う反面それは異なる人間同士、自然なことでもあると思う。
これまで多くの人と接してきて、理屈じゃなく時間を超え通じ合える何かがある人が居てくれることが、私には救いだし生きる力を貰える。
率直な気持ちを言うと、紗穂さんはふと現れた優しいいとこのお姉さんのよう。私より7コ歳下だけど、ふわふわの毛布のようなおおらかさを持っていて、それに触れると自然に涙が出てくる。
私は彼女のように弱者に手を差し伸べる人を応援する。
戦争の爪痕を語り継ぐことは、並大抵のことではない。
東日本大震災の原発事故も未だ何も解決していないが、いかにも日常の中では忘れ去られてしまったかのよう。綻びに目を向けることは、普通の人ならしんどくて身が持たない。
服を作りながら、紗穂さんの杉工場で行われた美しいLIVE映像を観ていた。
そして肩に蝶々をのせたいなあと思った。静かに寄り添うように。
正直、今何を言葉にしたらいいかわからない。
戦争はダメ。
戦争は悲惨。
過去十分に聞かされたはずなのに、戦後何十年を迎えたこの国は思考の統一化が進み、リアルさを持って人の痛みに共感することが出来なくなった。
自分達の暮らしに影響が出てやっと慌てるような視野の広さでいていいものだろうか。
私の中の静かな怒りを、花がゆっくり溶かしていく。
花は優しく、そして一番強いんじゃないかと私は思う。