わたしの祖父
わたしにとって祖父は少し怖い存在だった。
怖いと言っても大声をあげたり、荒い振る舞いをするのではなくむしろ逆。
物心ついた頃から、いつも静かな凄みを感じていてふざけてみたり、甘えてみたりなどがどうしても出来ない存在だった。
わたしの2つ上の兄を可愛がっているのは何となく察していたけどそれでも、何かを買い与えたり、無闇に甘やかしたりする光景はほぼ見なかった。
祖父は家から車で40分ほど離れた、田舎の僻地みたいな場所に工場を持っていた。
わたしが小学校に上がる頃、その工場を畳んでわたし達が住む家の裏に1LDKの小さな住まいを建てて、そこで暮らし始めた。
祖母はしばらくの間、工場のある場所で一人で暮らしていたけど暫くして祖父と一緒に生活するようになった。
まだ小さい頃、父は週末になると兄とわたしをよく祖父達のいる工場に連れていった。
少し背を屈めて入る工場の入り口や、中から漂う化学薬品なのか何なのか得体の知れない匂いを今でも思い出せる。今となっては祖父が何の工場を営んでいたかなど知る由もないけど。
祖父たちが裏で生活するようになって、家族は少し複雑となった。
食事は別、お風呂は同じ、電話はそれぞれ引いてあるけど、祖父と祖母宛ての電話は裏の電話に取り次ぐ。
祖父達がカレーを作った日は祖母が「カレー作ったから」とわたしや兄に勧めてくれた。
しかし母と祖母は折り合いがすこぶる悪く、祖母が何か言うたびに母は機嫌を損ねた。
そのとばっちりがわたしにくることもしょっちゅう。殆どの要因は母にあった。
わたしの知るところによれば、父と母は若い頃に結婚して、2人で生活していたがどうにも立ち行かなくなったのだそう。
それで祖父に連れ戻されて、この辺鄙な場所で暮らすことになったと、母は夕食時にお酒を交えつつよくグチをこぼしていた。
生活できんのに面倒見てくれた祖父の方がよほど立派でしょ、と子どもながらに思ったものだった。

そう、祖父は立派な人だった。
少なくとも子どもには手の及びようのない、何か特別なオーラがあったように思う。
この家も祖父がお金を出して建てたらしく、母は間取りが気に食わないとグチをこぼしたがわたしには負け犬の遠吠えに聞こえた。
そんな家族が年に一度だけ、皆で食卓を囲む日があった。大晦日だ。
大晦日が近づくと、父と母は食材の調達やらお酒の準備やらを始め、特別にとっておいたらしい松茸やお肉や何やらを、父が母に指示を出しながら次々料理していく。
特別な日のために数日かけて準備するあの時間が、わたしには何か幻のようで、あの間だけはいつものギクシャクした空気も諍いも不思議と消えるのだ。
そうして数日かけて準備した料理を囲んで、始まる大晦日のの宴。
乾杯の音頭はいつも祖父だった。
「今年も家族でテーブルを囲めることに感謝して。一年間お疲れ様でした」
カンパーイ!
この時間だけは、絵に描いたように平和な家族だった。
母も冗談混じりに「色々あるけど、まあそれも終わりよければ全てよしってことで」などと言いながらお酒を飲み、料理を運び、楽しげにしている。母が楽しげにしていることが当時のわたしにはすべてだった。
この家族には大晦日だけ魔法がかかる。
それが夜の12時に解けてしまうとしても、わたしにとってこの間は貴重なメモリーとなり心の拠り所となった。
宴が始まると、母がよく戦地に行った時の話をしてほしいと毎年のように祖父に話を投げかけた。
母は母なりに祖父をリスペクトしていた。普段はそれを素直に表現できずに歪んだ態度になってしまうのが母だった。
祖父がしてくれた戦地の話を何故ちゃんと耳をかっぽじって聞いておかなかったのだろうと、今は心から悔やまれる。
わたしが中学に上がる頃、魔法の宴は自然消滅した。
わたし達がまだ子どもで、大晦日と言えばドラえもんと決まっていたから魔法にかかっていたのかもしれない。
そう、大晦日はドラえもんと決まっているのに、なのになぜかある年の大晦日、祖母が戦争の特集を組んでいる番組を観たがった。
画面に大きなキノコ雲が映し出された途端、わたしはショックすぎてとても観られなかった。
チャンネルを変えてと祖母にに訴えた。
すると「じゃあおじいちゃん達の部屋でドラえもん観ておいで」と、裏に追いやられた。
結局子どもは大人の権力下で蠢くしかできない。
祖父は満州で戦ったのだそうだ。
思い出せるのはせいぜい日本に帰国する船の話ぐらいで、すベてぼんやりとしている。
何より大晦日の晩、祖父がわたし達に聞かせた話の殆どは言えないことだらけだったんじゃないだろうか。
祖父の静かな凄み、滅多に感情が昂らないところ、祖父を慕う祖父の友人。
祖父は、もしかすると満州で人を沢山殺したのかも知れない。
宇宙がひっくり返っても聞けないけど。
ねえおじいちゃん、戦争で人を殺すって、どういうこと?
平和について、ここに暮らしていることのありがたさ、祖父はいろんなことを静かに教え示していたように思うけど、誰にも言えない辛みを飲み込みながら暮らしているようにも見えた。
一度だけ祖父にこっぴどく怒られたことがある。
わたしが5歳ぐらいの時、どうしても買ってほしい本があった。たぶん本の付録に強く興味を持ったのだろう。
母にお願いしてもダメの一点張りで、なぜ母はいつもダメしか言わないんだろうと、わたしは完全に不貞腐れて泣いていた。
そんな様子を見かねた祖父が、「じゃあこれで買っておいで」とわたしに一枚お札をくれた。
泣きじゃくっていたわたしは、祖父からお札を受け取るや否や、何を血迷ったのかビリッとお札を破いてしまった。
すると目の前に居た温厚な祖父が鬼と化し、わたしを叱った。
その祖父があまりも恐ろしく、わたしは暫く布団に潜って出られなくなった。雷に打たれたかのような衝撃だった。このまま一生許されるまで布団から出られないかもしれないとすら思った。
わたしが成人する時、祖父は丁寧な手紙を書いて送ってくれその中にこうあった。
「長い人生だ、ゆっくり焦らずやっていきなさい。それから欲しいものではなく、必要なものを買うように」
おじいちゃん、あの時お金を破っちゃってごめんなさい。
あの頃よりも、少しは成長したかな。
もっとおじいちゃんの話を聞いておけばよかったです。
やっぱり平和が一番だよ。


