ハナヨウヒン クボメグミ ブログ
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タイムマシンに乗って

何から書こうか。

都知事選のことだろうか。

実家に帰省して父親と口論になったことからか。

先月からエルメスで働き出したことも書いておきたい気もするが、これについてはどこまで共有できるかが分からないので一旦やめておく。というか、日本、ちょっと暑すぎないか。

そう、暑いってことだ書きたいのは。

中2でレイチェルカーソンを読んで、地球ヤバイな・・・と懸念した通りの未来に今立たされている。正直、無力感以外、何もない。

都知事選も、家父長制の塊のような父とのケンカも、石に当たって砕ける卵の如く、撃沈覚悟で挑んだ感もある(わたしは蓮舫さんを応援)。砕けるのが分かっているとしても、挑まなきゃならないものが人にはある。

ダメもとでも挑むよいところは、挑んだ事実がけして消えないことだろう。

その事実と費やしたエネルギーこそが、ジワジワっと人や世界を変えていくとわたしは思ってる。今すぐには変わらなくてもね。

子どもの頃よく缶蹴りをして遊んだ神社

マムシとか普通に出たし

サルやキツネや鹿もいた

神隠しにあったことはないけど

不思議な存在はいつも側にいた気がする

しかし。

こと環境問題において、我々の意識はいつの時代を生きているんだろうか。

こんなこと書くと思想がどうとか、発言キツイとか思う人もいるかもしれないがただの事実ですから

頻発するゲリラ豪雨や、危険なレベルの酷暑が続いていることに、なぜこんなにものんびり構えていられるかが解らない。

明らかに昨今の気温はおかしいよ。

37℃の予報が普通に出るって。

学校の部活とか、暑くない?

ゲリラ豪雨って前からこんなにあった?

昭和を知ってる大人共よいかがなものか。

暑い暑いと言ってるうちに

とんでもない未来がすぐそこまで来ている。

子どもたちを、そのとんでもない未来の中に放り込み

あとはよろしくー どうせ我々のほうが先に死ぬから。

今何とかなればいんじゃない?

何そんな熱くなってるの?

という茹でガエルマインドがこの国を覆っている。

今、火傷しない温度でボイルされているわたしたち。

ミディアムレアにすらなりつつある。

いい感じに出来上がった頃にはもう

皿の上でジッとするしかないなんて

言い方アレだけどちょっとアホ?

大人はこの事実を知る責任があるし

選挙権のない子どもや動物の代わりに

少しでもまっとうな未来をつくる義務がある。

15年前に母に送ったカーネーション

枯れそうになったものを父が挿木して残していた

実家に帰りそれを聞いてびっくりした

ここは時が止まっていると感じた

それがいいとかそうじゃないとか

そんなことはどうでもいい

止まった時の中で、流れ去った時間の中で

ただ生きる

それを望むも望まないのも

自由だということ

人間には誰にもその人らしい

生き方があるということ

それがいいとかそうじゃないとか

そんなことはどうでもいい

小学生の頃、夏休みになると川へ行って泳いだりして遊んだ。

今日は30℃だって!帽子かぶっていきなさい!などと言われて

浮き輪と麦わら帽子と水中眼鏡を手に、近所の子ども数人と川まで歩く。

川へ向かう途中、草で一杯のあぜ道は狭くそこら中に夏の匂いが立ち込めていた。

突然サッと草むらからヘビが飛び出し、目の前を横切りみな奇声をあげる。

不思議なもので、何だかヘビが出そうという予感はかなりの確率であたった。

子どもの頃は色んなことが解った。

解らなきゃいいのにと、思うことがいっぱいあった。

これを読んでいるあなたも

もしかすると同じかもしれない。

そして大人になるにつれて

少しずつ

少しずつ

解らないままでいることを学ぶ。

解らないでいることも大人だ、と。

可能性に限界があることを知る。

冷笑、傍観、大人な対応、他人事・・・

子どもの頃のように、大人は無邪気に泣かない

わたしは子どもの頃よく泣いていたから

大人になってあまり泣かなくなった気がする

でも本当はもっと泣きたい

自分を解放したい

電車で席を譲り合う光景を見て

ポッと心が温かくなったり

見えない人と人のやり取りに愛を感じて

泣きそうになったり実際泣いてたりする

人は意味不明な生きものだ

だから知りたい

諦めたくない

無関心を装うのが大人になることだとしたら

一体何が楽しいんだろう

ねえ?

大人たちよ、もっと泣け

もっと熱くなれ

いつかの自分を迎えに行ってやれ

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