it’s a small world.
60歳前後だろうか。
埃を浴びた服とニット帽を身に付けた、初老と思わしき男性が丸い缶を前に、両手を地面につけ頭をうなだれている。
12月の銀座。
アジアや各国の外国人で埋め尽くされた歩道は、ここがどこなのかどうかさえどうでもよくなる程混沌に満ち、地に足の付かない数々の表情で埋め尽くされていた。
今年の6月から、銀座にある某ラグジュアリブランドのオフィスで派遣として働いている。誰もが知るトップメゾンだ。
12月に入る少し前、わたしは派遣の担当営業に来年1月一杯で契約を終えたいと伝えた。理由は心身とも疲弊したから。ネガティブなエネルギーに、わたしの脆弱な精神はとうとう持ち堪えられなくなった。
仕事とは一体何だろう・・・?
ここで働きはじめてから、根本的なそんな疑問が湧いた。
少なくとも誰かの役に立つことなのだろう。
自分の能力、知識、時間を用いて誰かの役に立っていること。それがやりがいであり楽しさであるはずだ。
しかしこの世には、特に誰の役に立たずとも、安定した収入を得られる仕事がある。誰にも求められない仕事がある。その事実にわたしは軽く衝撃を喰らった。
愚痴、悪口、噂話・・・、一日中それを繰り返し、同じメンツで何十年と時間を共にする。
すると人間というのはやはり偏ってしまうのだろう。
配属された一角はそんな偏りの強いメンバーで構成されていた。
わたしのような、ただでさえ理解し難いだろう人間が、クセ強メンバーの一人として迎えられた。
まあそんなに長くは居られないことは分かっていた。
入職前、派遣会社の若い女性の営業担当が「業務は40代ぐらいの人が2〜3人でやっているようです」と言っていた。しかし蓋を開けて見れば、平均年齢60歳、コミュニケーション一つとってもスムーズにいかない。
果たしてこれを仕事と言っていいのだろうか、という印象だ。しかし彼らは社歴が長いことで重鎮扱いを受けている。
それは別にいい、カルチャーとして理解もできる。
しかし一番堪えたのが、とにかく陰口が多いことだ。コミュニケーションを取る術がそれしかないのか一日中、同僚か上司の悪口、愚痴、陰口を言わずにいられないらしい。
多少はどこに居ても、スパイス代わりに皮肉の一つでも言うものだが、その程度というか、会話=他人の否定 であること、その思考回路が理解できない。
まるでどこぞの裏金議員じゃないか。ろくな仕事もしないのに高給を貰い、国民を欺く。
それで思った。
人は自分の力以上のものを手にした途端、人として何かが終わる、と。
この人たちが、あの歩道をいつもどんな顔で歩いてるかは知らないが少なくとも、今日を生きることも難しい人が世界にいることは、彼らの目には見えていない気がする。
それは同じ人として、悲劇に近いのではないか。
そんな彼らを憐れに思う。
そこでしか通用しない特別扱いを受け続け、慣れきってしまう前に一度外に出るべきだった。
しかし時すでに遅しだ。
余計なお世話だが。
いや、余計なお世話をするためにわたしはこの半年を費やしたのだ。
わたしにとっては日々、闘いだった。
人生を大きく眺めた時、そんなふうに愚痴をこぼして過ごす一日が、どれほど無意味で悲しいものか、彼らが知ることはこの先もないのだろう。
夕方オフィスを出ると、キラキラ光る枯れ並木が道行く人を照らしている。
そこにおじさんの姿はもうなかった。