
rebirth
昨年の今頃、新宿のK’sシネマで「燃えるドレスを紡いで」という映画を観た。
世界中から集められゴミとなった服がケニアのある場所に集められ、売ろうにも売れなくなったボロきれが深々と地面に降り積もっている映像。
長年蓄積し続けたゴミ山からは得体のしれない煙が上がり、見たこともない大きな鳥がその上を迂回している。まるでこの世の果てのような世界がそこにあった。
それらのゴミからオートクチュールの服を作りコレクションで発表したのが日本人で唯一のオートクチュールデザイナー中里唯馬氏。
ゴミ山に立ち、市場を歩き、温暖化で雨が降らなくなった土地に暮らす人々と会話をする彼は、ただ綺麗なものを作るだけではない、映画の中で本当に困難なクリエイションに挑んでいた。
雨が降らなくなった土地で暮らす人々は言う。「もうこれ以上服を作らないで欲しい」と。そして中里氏にこうも言った。「あなたはここに来て何を学んだの?帰って何をしてくれるの?」と。多くの人がこの地に視察に来るが、その人たちが自分達のために何をしてくれたか分からないと彼らは言う。
「もうこれ以上、服を作らないで欲しい」
少なくとも、服が好きで多少なりとも服を作ることに携わっているものとして、この言葉は非常に大きくて、どしんと胸にのしかかった。ましてや世界のモードの発信地であるパリコレで、毎シーズンコレクションを発表している人からすれば拷問のような言葉じゃなかっただろうかと想像する。
それでも、その土地で彼らは逞しく生きていて腕にはカラフルなリングを巻き、首元をたくさんのビーズの連なりが飾って、それが砂漠の砂色の中で鮮やかに映え、とても美しかった。
ゴミ山の中に美を見出し、それをなんとかして言葉に置き換えようとする中里氏。わたしは心を打たれ涙が流れた。
もう服なんて作らなくていいのかもしれない。本当は心底そう思ってたりする。
今現在、日本の服の自給率は2%にも満たないと言われている。98%が海外で作られ、日本でゴミとして焼却及び廃棄される服は一日で約1300トン、数にして1日約520万着だ。
わたしが服を作り始めたのが2002年。市場は既にファストファッションが台頭していて、そこから加速度的に、作られる服の量は増え続けていった。そして反比例するように、無個性で冷たい温度の服が出回り、以前感じていた服への憧れやときめきが自分の中で薄まっていくのが悲しかった。
既にファッションは終わったと言う人もいる。いくら新しい服を発表しても、それは極論、懐古的なデザインの焼き増しにすぎないと言う人もいる。
でも、わたしは美しいものを生み出そうとする人のエネルギーほど尊いものはないと信じている。どう捉えられたとしても、自分の内側から湧いてくる自分だけの真実を形にする。それは人間だけに許された最高の喜びであり生きている証ではないだろうか。
これからファッションがどんな変貌を遂げていくのか、正直分からない。服に憧れ、服を作りたいと思う人たちがその想いを絶やすことなく一歩を踏み出せる世界であって欲しい。切に思う。どうか服に絶望しないでいて欲しい。
一個人が作る服に何の力があるのか正直分からない。けど自分の中で、このままでいい、これでいいと言う声がする。だからわたしはその声を聞いて何かを形にする。自分のしていることにどんな意味があるのか、本当に分からなくなることもある。けど、そんなのはもう考えなくていいのかもね。ただ形にしたいものを、わたしはこれからも作り続けたい。

Wreckage Dress.
material:残布

