その他

my life is

物心ついた頃からなにか自分は他の子と違うっぽいと感じながら生きてきた。

4歳ぐらいの時、みんなが先生に言われるまま園庭に出たり昼寝をしたりおやつを食べたりするのがすごく不思議だった。なぜ外に出たくないのにみんなと遊ばなきゃいけないんだろう?どうして言われるままに外に出たり昼寝したりおやつをパクパク食べたり出来るのかが理解できず、この時点で社会不適合のシグナルを周囲に撒き散らかしていた。

自閉症らしいと言われたのは母親からだった。

思えば自分でも、20代の終わりまでADHDの特徴が生活の随所にあったと自覚している。小学生の頃はそれが顕著だった。同じ映像を何度も何度も見たがったり、ほんの些細なことが世界のすべてのように思えて感情を抑えきれなかったり、毎日何かしら忘れ物をして先生に怒られたり。母親はそんなわたしを見ていつもため息をついていた。

自分の体も心も扱えないのだから親のことまで気にかける余裕もあるはずがないんだけど、実家を出るまでわたしはずっと母の愚痴を横で聞かされながら暮らしていた。

父親の悪口、祖母の悪口、思うようなむすめではないことへの不満からか何かにつけ否定された。あまりにも母や父から否定されるので(じゃあ産まなきゃ良かったじゃん、なんで産んだの?)とも思った。しかし父も母も自分のことは棚に上げて平気で人を悪く言うので、(わたしは前世で何かやらかしてしまってここに生まれて来ざるを得なかったんだろう)と高校に上がった頃には少しだけ悟れるようになっていた。

なぜ忘れ物ばかりするの?なぜ他の子みたいに出来ないの?なぜ運動が苦手なの?なぜ?なぜ?って、そんなのこっちが知りたい、どいつもこいつもうるさい。同級生にも先生にもやたらバカにされた。

村社会がとにかく合わないことを思い知らされ、とにかく早く逃げることを考えた。

そして実家を出る時、母親はわたしに言った。「ケンカする相手が居なくなってみんな寂しがってるんだから毎月帰ってきなさいよ」と。(最後までわたしの気持ちはやっぱりどうでもいいのね)と踏み台を用意してもらった気分だった。(やっと自由になれる!わたしを押し付け否定してきた人達からやっと解放される!)あの晴れがましい気持ちとは裏腹に、最後はむすめらしく「すぐ帰ってくるから」と手を振って家族に別れを告げたのが1993年、18歳の時。

18年間わたしを否定し押し付けてきた家族をどう愛せばよいか分からないまま、祖父と祖母が他界し、母も6年前に他界した。父は一人になったが、父はわたしのことをむすめではなく自分の言うことを何でもふんふん聞いてくれる都合のいい人間として接していた。何でもふんふんと言って聞かないと機嫌を損ね時にキレるのだ。自分の都合のいいようにわたしが父に接するよう、自分はいわば被害者であり、本当は頭がいいのに仕方なく今の暮らしに甘んじており(実はギャンブル依存)、外は敵だらけで信用できず、母の行動のせいで自分がどれだけ惨めな思いをしたか、などなどマインドコントロール(モラハラ)をした。

どれもこれも本当なら子どもに聞かせるような話ではないことばかり聴かせしてみせた。毒親だった。

こんなことを書くと一部の人は不快な気分を招くかもしれないが、家族の形は100あれば100通りありもちろん正解などあるはずもなく、サザエさんのような時代錯誤の価値観などもってのほかだと思ってる。あのあり得ない絵面で日曜日の茶の間を牛じってきたのは、やはり家族とはこうあるべき、的な妄想にいまだ皆が取り憑かれているからなのかもしれない。

なぜ今日こんなことを書こうと思ったのかというと、ふと訪れたある場所があまりにも素敵だったから。

船橋市にある空と海という障害者福祉サービスを運営する場所、ここで利用者の方が制作した和紙や布の作品を見させていただいた。

どれもがのびのび躍動していて、繊細で大胆でありのまま。森と木があり、花が植えられ、薪がくべられ利用者さんが気さくに話しかけてくれニコニコ場所を案内してくれた。

この半年、わたしは都内にある仏ジュエリーブランドの日本本社と自宅をひたすら往復する日々を送ってる。が、ものづくりをしている時が一番幸せと言い切っていいぐらい、創造することはわたしにとって本当に生きることそのものだと思ってる。ずっと押さえ込んでいた感情がこの素敵な空間に触れ、溶け出てきてしまった。

生活することと自ら生きることを両立するにはお金が必要。自分なりにそう割り切っていたつもりだが、なにか限界が来ていたのかもしれない。帰宅する電車の中で近日記憶にないぐらい涙と鼻水が止まらなくなってしまった。

涙に紛れ、あらゆる感情が襲ってきた。子どもの頃にバカにされ悔しい想いをしたこと、親に否定されてばかりだったこと、周りの大人が助けてくれなかったこと、、小さな自分が(誰にもジャマさせない!)と叫んでる。唯一、その頃のわたしと同じ目線で向き合ってくれる人のことをふと想ったらさらに涙が溢れでてきた。その人はきっと自分がそんなふうに思われてるだなんて露ほども知らない。だってわたしだけの秘密、だから。

鼻水をすすりつつ、(わたしをバカにしてた近所の同級生や先生たち、今のわたしを見てよ?)と思った。わたしね、誰もが憧れるフランスのジュエリーブランドの本社で仕事してるの。あの頃、同じように外で遊べなくて運動もできなくて親に否定されて助けてくれる人も居なくて、早く出ていきたいとずっと思ってたの。本当に良かった!親不孝だとか薄情だとか色々言ってるようだけど、自分を殺したまま朽ち果てていくのが親孝行なの?

ゆうて。

とはいえ。

仲の良さそうな親子を目にすると、わたしの胸はちくりと痛む。

自分の娘と息子のことは心から愛している。でもむすめとして感じることのなかった(あたたかな家族)というものに、これからもきっとずっと死ぬまで憧れ続けるのだろう。ただの知り合いが家族と仲がいいと聞くだけで、わたしの胸はどうしてもちくりと痛む。

あたたかな家族。

小さなわたしが(やはり人とは違うんだ)とうっすら涙を浮かべたら、いつかそっと拭ってくれる人が見つかるのかな。

さて、また明日からたたかいだ。

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