恋とか愛とか、について
来月50歳になるのを祝ってちょっと恋とか愛とかそういう目に見えないもののことを書いてみようかなと思う。23歳で結婚して38歳で離婚したのだけど、結婚後はほとんど、そういう恋話をしたいとも思わなくなった。というか子どもと生活を送るのに精一杯でそれどころじゃなかった。恋愛感情というもの自体がはるか遠い遠い記憶の断片。
38歳から社会復帰して、それから何だかんだアパレル 業界に携わっている。今は某ラグジュアリブランドの本社でカスタマーサポートの仕事をしている。が、これがなかなかタフな環境というか、ただでさえ異色な人間からするとペリー来航を思い起こさせるレベルのカルチャーショック、という感じだ。
離婚後が大変だったのもあり、なおさら今自分で作品を作れることの幸せはそれは計り知れないのだけど、生きていくにはどうしても社会のシステムにある程度準じなければならない。このポンコツシステムが合わずに不登校や引きこもりになる人々の気持ちは、わたしは痛いほどわかる。自分を守る手段、勇気そのものだから。
今会社にいるわたしも合わないシステムに身を置きながら、日々心を毒されていく気がして正直おそろしいし忖度とおべっかで出来あがった文化(事実)に思わず吐き気がするけど、媚びてることを自分でどうも思わない人達を見ていると直近の自民党裏金問題を彷彿とさせる。おいおまえたち。とっくにバレてるぞ〜。
これまでいくつかのブランドで仕事をしてきたのだけど、その中には正社員で働いた時期もあれば派遣で働いていた時もあった。なので面接だったり面談だったりを何回も受けてきた。さっきも書いたように離婚後は恋愛って何だっけ状態だったし、何なら今もそうかもしれない。詰まるところ、わたしは恋愛感情というものがよく解らなくなってしまった。これは病気だろうか?悩むことでもない気もするがこれは少し切ない気もしないでもない。ある程度年齢も経て、色んな人を見て接してきて簡単に誰かを好きになることもないのも解っている。簡単に信頼しないのも、言葉を鵜呑みにしないのも、直感も。この恋愛感情がよく解らないまま、自分を色んな場所に連れて行ってあげることが大切なのかもしれない。
数年前にある外資系の会社にいた時のこと。
その頃は子どもがまだ中学と高校だったので、仕事をして帰宅して家のことして仕事して・・・みたいな劇ハード生活だったように思う。この外資系の会社は日本ではスタートアップのような位置付けでフランスから来た無名の会社だった。その無名さとフランスから来たばかりのアパレル ってところに好奇心が触れエージェントを通して応募→面接→となりめでたく入社となった。
いくつか他のブランドも受ける中で、わたしは希望の年収の話になるとどうしてもうまく伝えられない自分に少しヤキモキしていた。経験も自信もない中で、根拠のある希望額を伝えることのむずかしさ。考えた結果、思っていることを言ってしまうのが一番という結論に至った。そしてこの外資系の会社で面接を受けた時、最後に希望年収を聞かれたわたしは「離婚して子ども二人育てていることもありますので〇〇〇万円以上を希望します」と伝えた。すると、伝えたとおりの額で無事採用された。
この時の面接官は二人だったうち一人が日本支社の社長でフランス人、もう一人が色んな海外のブランドを日本でローンチさせている手腕持ちのA氏。まだ出来立てホヤホヤな会社でこの二人が事実上本社的存在だった。
ここに居た間は他の会社の5年分ぐらいの学びを1年で経験したようだった。フランス人の社長と一緒に服の値札を付けたりみんなでランチすることも普通の会社ならそうないだろう。この社長はまだ30代後半と若く、日本語も達者で日本人の奥さんと男の子が二人居た。フランスの某政治学院を出た趙ウルトラエリート街道を辿ってきた人だそうで、それを聞いて、どうりで面接の時(この人目が氷だ)と思ったわけだった。またこの社長は日本人が得意とする「がんばります」とか「がんばったんです」という精神論を一切認めない人でもあった。基本外資系は数字で全てが評価されるので、頑張ろうがサボろうが、数字が上がれば何でもいいということを、わたしはこの会社で学ぶことになった。
次第にこのフランス人の社長がわたしに何となく好意を持ってるのに気付いた。というのも見てくる目が物語っているというとわたしの感覚の話になるが、そういうのは解るものだ。しかし妻子持ちのくせにと思う前に、ああ男って妻子がいようがいまいがそういう色目を女の人に使う生きものだなとわたしはまもなく悟った。もう一人の面接をしてくれたA氏も奥さんと中学生の女の子がおり歳は40代後半、落ち着いているけどクセのあるキャラクターとユーモアの持ち主でフランスに2年ぐらい語学留学していたらしかった。
仕事で一緒に過ごすうち、わたしのキャラクターがどうも日本人ぽくない(つまり変わり者)だと二人とも思っているらしくだから何だというわけでもないが、ある日このA氏と店のカウンターで話していた時不意にこんなことを言ってきた。「ぼくはこの人という人が居たら妻も子どもも手放してしまうよ」・・・こちらを真っ直ぐに見つめながらそんなこと言われたら、この人はわたしを口説いているのだろうかと思うだろう。へー意外と薄情なんですね、いえ情熱的ですね、とでも思うと思ったのかは知らない。妻子持ちのクセに。そんな安い女とでも思ってるんですかそれとも簡単に靡くとでも?でもこの人の人間性が好きだったのでへえーと思いながら聞き流す、そんな感じだった。
わたしは38歳で離婚してからこれまで誰とも交際してこなかった。色んな人と接して色んな人を知って、ああ素敵だな人としても男性としてもと思うことはある。そういう人といい関係でいられたらいいなとも思う。けど誰か決まった人と付き合いしたいと思わない。子どもが独立して、やっと自分のやりたいことに着手し始めたこともあってか興味の対象が自分と自分のやりたいことに集中してしまっている。そういう心境にどうしてもなれないままだけど今はそれをも丸ごと受け入れている。
昨年3年程交流をしているフランス人の友人にこんなことを言われた。「まだあなた若いんだから、行動すべきだよ。何もしなきゃ何も起こらないよ」と。そしてその友人が今年の冬に日本にやってきた。優しくて紳士的で、とても誠実な人だ。一緒に時間を過ごす中で、わたしはやっぱりどうしてもときめかなかったしそれは彼にも伝わっていたと思う。恋愛目的なら他をあたってくれとわたしのオーラが勝手に発していたように思う。これは悲しいことなのだろうか。わたしはすっかり枯れてしまったのだろうか?
だけどわたしは今幸せだ。誰とも付き合っていないし特定の恋人もいないけど夢中になれる趣味があってやりたいことがあって、家があって愛する子どもがいて、受け入れてくれる場所があって、外の仕事はやっぱり思うようにはいかないけど、自分の弱さとかいびつさを知ることができて、我ながらこのめんどくさい女を前より好きになれそうだし実際好きになった。
そしてこれだけは言えるのは今が人生で最も幸せということ。最も愛を感じられるということ。愛には色んな形があるということ。この想いが明日も明後日も、死ぬまでずっと続いていくことを願ってる。
そして来年あたりちゃっかり隣に恋人がいたりして、ね。