孤独なシェルター
人にどう思われるか、人と比べて自分を上げたり下げたりしてばかりの世界にうんざりしている。
世界にはそんな人間のドロドロしたエネルギーよりも、もっとずっと美しいものが存在するのに、なのに人は好んで泥臭いエネルギーに浸り、やたら染まりたがる。
ドロドロの泥エネルギー社会システム(泥エネ社会)は、自分をそこにすっぽり浸すためにあるのではない。逆にこの泥エネを上手に使いこなさなくてはいけない。間違っても、泥エネを”正解”と勘違いしてはいけない。
“泥エネ”と”人間”はどこまでも相容れない。
ドロドロが人間を飲み込むか
人間がドロドロを飲み込むか、だ。
世の中は泥エネルギーに飲み込まれた人間で溢れかえり、ドロドロの生みの親は素知らぬ顔で人の命を奪う。
人として生きるならば、”わたしは泥に埋まらない”と、固く誓うほかない。
それには大変な勇気が必要となる。
見えない血を、涙を心臓で流す勇気。
でもそうやって生き始めると、いつか存在そのものが唯一無二になる。
特別な作品を残す必要さえなくなって、言葉に魂が宿り出す。
他人がとっくに諦め手放したもの。それに手を伸ばし、手繰り寄せ離さないでいる。そしてそれは孤独も同時に手繰り寄せることになる。
そう、言いたかったのははわたしは孤独ですよってこと。
とってもとってもね。
人は誰しも孤独、とか、聞いたことのある常套句に収まるものじゃなく、気を抜いたらスーッと地面から足が離れて壁を通り抜け、その先にある氷の国に吸い込まれるような、絶対的な孤独。おそらく自分にしか分からないもの。
幸か不幸か、誰かと2人で居ることは1人で居るより孤独なことも知ってる。
だから自分で選び取る孤独は、きっと本当は孤独じゃないんだろうね。
足元に咲く花
夏を孕んだ5月の夕暮れ
床に落ちる窓
テレビとニュースの毒
一編の詩と旅
時間の消えた世界
世界には、もっとずっと美しいものが存在する。
草と泥を使って拵えた小さくて頼りない砦。
孤独なシェルター。
どうかわたしを守っていて。



