寺尾紗穂 植本一子 

服とパンク心とわたし

撮影:植本一子

先日下北沢で撮影した中の一枚。2年前に買ったインド綿のワンピースに着込まれたリネンのジャケット。はあ素敵。。

リネンは時間が経てば経つほど味が出る素材。シワも入りどんどんクタクタになっていく。ヨーロッパでは昔から嫁入り道具の一つにもなっていてアンティークリネンは今も魅力的な素材として珍重されてる。

この時間を経ることでしか出てこない魅力は服だけじゃなく、建物や働く手に刻まれる皺や、他にもたくさんたくさんあってついそこに個人的な美学を感じてしまう。そしてそれを伝えたいと今日も模索している。

鈴木健次郎さんというParisにお店を構えるテーラーが居る。彼とはずいぶん前になるけど2回ほどお会いしたことがある。

1度はどうしたらParisで服作りを学べますか?どうしたらいいでしょう?と銀座の和光まで直接聞きに行った。

その時頂いたアドバイスは、まずは語学とビザについてクリアしなきゃいけないという趙現実的なもの。おかげさまで語学は適当になら話せるようになったが、今はその時の自分から変化して、Parisへ行きたい気持ちはほぼなくなった。それも流れだ。

鈴木さんはフランス人や諸外国の王族みたいな人にスーツを仕立てる仕事をしており、彼らと日々触れ合う訳だけど、ある時SNSでこんなことを言っていた。

「フランス人は服でも家でも古いものを愛するけど、お客さんには僕が仕立てた数十万円するスーツを着たまま一晩寝て体に馴染ませる人もいる。新しいものを新しいままにしておけないんだろう」と。

その感覚がすごく分かる。わたしも新しい建物やもの囲まれているとどうも居心地悪い。言ってしまえば、流行を追いスクラップアンドビルドを繰り返すこの国の文化とそもそも相性が良くない。

なので昔から、え、それおかしくない?と言われることはよくあるしそれは現在もだ。でもそれがわたしであって、人がどう思うかは正直どうでもいい。自分が自分にYesと言えるかどうか、だけ。

不思議なことに、寺尾さんのお父様がフランス映画の字幕を翻訳される仕事をしていたことを知ったのも服を寺尾さんに渡した後だったように思う。中でも気狂いピエロはわたしにとって印象の強い作品で、服やビジュアルの多くは映画から学んでいる。

いろいろ書いてるけど、正直、たかが服。それで全然よくて。そのたかが服にわたしが勝手にパンク心を投影させてる。

寺尾さんは何も着ていないかのように着てくれる。アパレルに長く居たものからすると清々しくさえある。多分、彼女は着ようと思って着ていない。

さてパンクに触れたついでと言ってはなんですが、「20世紀ファッションの文化史 – 成美弘至著」よりパンクとは何ぞ?ということを一部抜粋しますね。

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『パンクのベースにあるのは反抗と世間への挑発だ。

1970年代前半にヴィヴィアンウエストウッドとマルコムマクラレンがロンドンのチェルシーにお店を構え、そこから伝説的なバンドが生まれた。

当時のイギリスは重苦しい経済不況の中にありインフレと失業率は上昇、都市は荒れ果て生活水準も著しく低下していく。

伝統的な地域文化、労働者文化の崩壊、政治への失望から若者の中には移民への人種差別に向かうものもいた。’76年には熱波による異常気象がイギリスを襲い、不穏な空気をいやがうえにも高めていたのである。

こうした状況をもろに受け止めたのが、仕事もなく将来の見通しもない労働者階級出身の若者たちであった。彼らは’60年代ヒッピーの楽天主義や事なかれ主義に反発し、怒りと欲求不満を解消する吐け口を求めていたのである。

パンクはこうした若者たちのもやもやを見事なまでに形にしていた』

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折しも、昨日RRR を観ました。改めてインドとイギリスについて少し考えていて。今の中国もそうだけど産業革命で国が大きく変化する傍ら、社会的弱者と言われる人達はやっぱり弱者のままで。社会を作っているのはどの時代も一人の人間の集まりだということを忘れないようにしたい。

旧岩崎邸 
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