「ドライブ・マイ・カー」
現行作品。
私は賞を獲ったとかそういうおまけ的なものにあまり興味がない。
好きな監督の作品が評価を受けたとかなら嬉しいけど、賞を獲ったから観に行くという動機は・・まあない。「君の名は」がヒットしている裏でやってた「レッドタートル」で大号泣していたし、大ヒットと言われているもの程観る気が失せる天邪鬼だし、ただ梨泰院クラスは面白かった・・。
このドライブ・マイ・カーは西島秀俊が主演なので、観てやってもいいかとは思っていた。しかし数年前に「寝ても覚めても」を映画館で観た時は終わりまでイライラモヤモヤした。
何故なら主人公の女がどうしようもなさすぎだから。最後の猫を探すところなんて、あなたってもう何でもありなの?と。(どうしようもないのは私もそうなんだけど!)娘とその後ビビンバを食べながらボロカスに感想を言い合ったのが懐かしい。
同じ濱口監督ということでものは試しと家から近いキネマ旬報シアターへ足を運んだ。
いつも大きなシネコンで映画を観ていたが、ここは通り過ぎるだけで今回初めての来館。
お客さん、オジサンばっかりではないか。何て新鮮なんだ・・。
館内も渋いし、ドリンクバーのホットコーヒーが熱くなりすぎてカップ持てないし、何よりシートの座り心地がすごくいい。(褒めてんだかなんなんだ)
さて、映画を観終わった感想ですが・・
うん、やっぱりモヤモヤしました。笑
こればっかりは個人の好みというか感性や価値観の域だけど、そもそもカンヌやらアカデミー賞というのもあくまで時代の節目みたいなものだと私は思っていて。
今回カンヌの審査委員長はスパイクリー監督だったそうですけど、万引き家族が賞を獲った時はケイトブランシェットが審査委員長。そして安藤サクラの演技を絶賛してたとか何とかで、時代もあるしそんなもんなんじゃないかなあと思ってる。
で、何故ドライブ・マイ・カーを観てモヤモヤしたかと言うと、
またどうしようもない女の振る舞いに振り回される主人公設定かい、という濱口監督ワールドのようなものを再認識してしまったから。あくまで私個人でですけどね。
とはいえ、決してどうしようもない女ではなく、人間誰しも抱える弱さや痛みが別の形で依存に変わったり何かの中毒になることは大いにあることだと思う。
それが人によっては性に向かったりお酒やギャンブル等に向かうから、人生でつまづいてしまうのであって。ただ、濱口監督(原作はハルキムラカミだけど)が抉り出したいものが私には響かなかった。
誰も知らないを観た時も思ったことけど、リアルな痛みや苦しみを経てきた人なら自分で自分を救う言葉や方法をもう持っていると私は思う。この作品を観ていると、これまで知らなかった人間の痛みを描こうとしている気がして(実際そうだと思うのだけど)、何となく既視感を覚えた。
もう一つ。女性の心の痛みや言葉にし得ないものを抉るのに、切り口は何も性を追いかけることだけではないのは多くの人が知っていると思う。
その点でも濱口監督の作品はやはり好きではないと改めて思いました。(2作品しか観てないけど)
個人的には、ウディアレンの「ブルージャスミン」「アニーホール」「私の中のもう一人の私」の主人公の方がよりリアルに響くし(監督のスキャンダルとかは置いといて)、岩井俊二の「リリィシュシュのすべて」の方が痛みがある。そしてどちらも世界が美しく少しのウィットがある。
これはファッションデザイナーと同じようなものじゃないかと。
クリスチャンディオールが求めたのは自身の母親に対する憧れだし、イブサンローランも女性に美しさと幻想を求めた。一方、シャネルは女性の社会進出を後押しするスタイルを打ち出し、ドリスヴァンノッテンは究極のリアルクローズを生み出してる。
監督個々の持つ世界が映画という作品になるわけで、それが賞を獲ろうが獲るまいがそこに優越なんてない。この服が賞を獲ったからと言って、似合わない服を着る方がおかしなことだから。
・・・と、散々書きたいことを書いてしまいましたが、映画の中で印象に残った言葉があります。
「もっと正しくちゃんと傷付くべきだった」「そういう人だったと思うことはできませんか?」
ちょっと私も身につまされる思いがしました。それから、ドライブ中の岡田将生もとても良かった。
ちゃんと傷付いてちゃんと悲しんでちゃんと泣くことって、自分を大事にすることだしそれが周りを大事にすることに繋がると思うから。
小さな映画館がなくなってしまうのは寂しいので、ここはこれからも足を運びたいです。
最後に・・
チケットを買う時カウンターのお姉さんに
「ベイビードライバー一枚お願いします」
「・・・? あ、ドライブ・マイ・カーですね」
無意識にベイビードライバーが出てきたのに、自分でもびっくり。
だって似てるんだもの・・
あの映画も面白いのでおすすめです♩